〜世界という恐怖〜　

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　「いいよ別に。それで平和に朝が過ごせるんだからさ。でも妻、前から聞きたかっ

　たんだけど、朝一番にニュースを見るのがなんでそんなに大事なわけ？」

　「だって、寝てる間に世界が滅亡したりしてないかどうか、とりあえず朝起きたら

　すぐに確かめたいんだもん」

　「……はあ？」

　　妻から見た世界は、実にいろんなキョーフに満ちている。普通、人は「今日と同

　じように明日は来るのか？」なんてことを、一々疑ったりしない。今日が過ぎれば

　自動的に明日は来るもんだし、よほどの突発事態でも起こらないかぎり、日々の生

　活は大きな変化もなく続いていくのが当たり前だと思っている。もちろん、それに

　ついての確証なんて誰にもないんだけど、普通の人はそんなことを突き詰めて考え

　たりはしないし、そのことを疑って不安になったりもしない。

　　ところが妻の場合。「無事に明日が来ることに百パーセントの確証はない」って

　ことを、常に明確に意識している。というか、せずにはいられないらしい。まあ、

　確かにそれは事実なんだけど、そんな風に考えていたら、誰だって不安でいっぱい

　になってしまう。現実の世の中では、百パーセント確実なことなんて、まず何もあ

　りはしないんだから……（だって、そういうもんだろ？)

　　そのへんを疑いだしたらキリがない。だから僕も含めて世の中一般の人たちは、

　不安と向き合うかわりに、そういう不確実さには目をつぶることを身につけてきた

　んだと思う。大した根拠がなくたって、今日の続きには平穏な明日が来るものだと

　当たり前のように信じ、楽観的な感覚で生きている。

　　けれど妻は、不確実なことをあいまいなままにしておくことがむちゃくちゃに苦

　手だ。ましてや、根拠もないのに楽観的に物事を考えるなんてことは、不可能に近

　い。

　　その結果。

　「太陽が明日、東から昇るかどうかさえ確信が持てない」（本人談）ということに

　なる。冗談みたいだけど本当だ。僕らが学生の頃、世界はまだ冷戦時代で、アメリ

　カとソ連が核兵器を抱えてにらみ合いをしていた。当時の妻は毎朝テレビをつけて

　は「まだ世界が最終戦争を始めていないのを確認して、ほっとしてた」のだそうだ。

　　本人は大まじめだ。頭では、世界規模の核戦争がある朝突然起こる確率なんてか

　なり低いのはわかっている。それでも、毎朝ニュースを見て自分の目で確かめない

　ことには、どうしても安心することができなかったという。

　　万事がこの調子だから、当然、妻から見た世の中は不確実で不安なことに満ち満

　ちたキョーフの世界だ。…

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　なるほど。確かに、明日、世界があるという保証は、本当はどこにもない。泉流星のように

考えていたら、この世界は、とても不安定で、恐怖に満ちたところであるに違いない。

　ところで、僕たちは、どうして不安にならないのだろう。

　やはり、身体感覚の相違に起因しているのではないだろうか。僕たちは、トータルな身体感

覚を持つことができているので、世界があることを実感として感受できている。

　自閉症の場合、身体感覚が混乱しているために、世界の平常の(平均的な)感覚を持つことが

できないのではないだろうか。その代わり、世界を「過剰特異性の感覚」で感受することに

は格段に優れている、ということなのではないだろうか。

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　もうひとつ書き留めておきたいことは、「現代社会」や「現代の文明」というものは、自閉

症者には、とても不安定になりやすい、生きにくい環境なのではないか、ということだ。世界

が滅ぶ可能性が、常にある社会であるとは言えるからだ。

　江戸時代のような社会だったら、たぶんそんなには生きにくくなかったのではないかと思わ

れる。ことさらに、こういうことを書いておきたいのは、最近は、自閉症が増えてきており、

その原因は、「環境ホルモン」「水銀説」「予防ワクチン摂取」などである、という説が流れ

ているからだ。ダニエル・エイメンの『わかっているのにできない脳』などには、サプリメン

トや食事療法の重要性が説かれているが、それは、あくまでも「脳も内臓(臓器)の一種であ

り、サプリメントや食事療法によって、脳の環境を整える」という意味において、だ。

　「現代社会の歪みが、自閉症を引き起こしている」という説は、僕は賛成しない。

　自閉症は、単なる「障害」の問題ではなくて、もっと人間の根源的な問題(可能性と言って

もいい)を孕んでいると思う。