○ …こうした発作はふつう、脳のどこかでニューロンの小集団が混乱した発火を行な い、その活動が野火のように広がって脳全体をのみこんでしまうことによる。しか し発作には「局所的な」発作、すなわち一カ所のせまい範囲にほぼとどまっている ものもある。この局所発作が運動皮質で起こると、連続した筋肉の痙攣が生じる－ －いわゆるジャクソンてんかんである。局所発作が辺緑系に起こると、感情の症状 がもっとも顕著となる。患者は、強い恍惚感から深い絶望、破滅のときが迫ってい るという気持、はては極度の怒りや恐怖まで、「感情がもえさかる」という。女性 はときどき発作の最中にオーガズムを感じることがある。理由ははっきりしないが 男性にはない。しかしなかでもいちばん注目に値するのは、神聖な存在を感じたり 神と直接コミュニケーションしたと感じるなど、感動的な霊的体験をする患者たち だ。周囲のあらゆるものが宇宙的な意味に満たされていると患者は言う。「私はよ うやく、すべてを理解しました。このときをずっと待っていたんです。不意にすべ てがのみこめました」。「ついに私は宇宙の真髄を見抜きました」。皮肉なことだ が私は、この悟ったという意識、真実がついに啓示されたという絶対的な確信は、 情動に関与する辺緑系からくるはずで、思考をつかさどる合理的な脳領域－－真実 と偽物を識別する能力をおおいに誇っている領域－－からくるはずがないと理解し ている。 ○ とても興味深いが、いくつかのことを書き留めておきたい。 ①てんかん発作の最中に女性がオーガズムを感じることがある、男性にはない。 吉本隆明の『共同幻想論』には、女性は、「神」(共同幻想)を性的対象となしえる(男性では ありえない)。という意味のことが書かれてあったと記憶している。 ②てんかんの局所発作が、運動皮質で起こると、身体が痙攣する。辺縁系で、てんかんの局 所発作が起きると、「情動が燃え上がる」状態になる可能性がある。神と一体になる感覚は、 情動が過剰になっている状態であると言えるかもしれない。 ③ラマチャンドランの「この悟ったという意識、真実がついに啓示されたという絶対的な確 信は、情動に関与する辺緑系からくるはずで、思考をつかさどる合理的な脳領域－－真実と偽 物を識別する能力をおおいに誇っている領域－－からくるはずがないと理解している。」とい うのは、その通りではないだろうか。 ○ 「最初の発作は八歳のときでした。倒れる前に明るい光が見えて、どこから来てい るんだろうと不思議に思ったことを憶えています」。それから数年後にまた何回か 発作が起こり、それが彼の人生をすっかり変えた。「ふいに、それがこの上なくは っきりとしたんです、先生。もはや疑問は何もありませんでした」。彼は歓喜をお ぼえ、ほかのものは何もかも色あせた。歓喜のなかで神をはっきりと感知した－－ カテゴリーも境界もなく、創造主との一体感だけがあった。彼はこの話を細部まで 念入りに、とてもしつこく説明した。どうやら何ひとつ言いもらすまいと心に決め ているようだ。 私はすっかり興味を引かれて、話を続けるように頼んだ。「もう少し具体的に言 ってもらえますか？」「うーん、ちょっとむずかしいんですよ、先生。セックスの 喜びを思春期前の子どもに説明しようとするようなものですから。なんとなくわか ってもらえますか」 私はうなずいた。「セックスの喜びについてはどう思いますか」 「正直に言うと、もう興味がありません。私にとっては、たいしたことではないん です。あの神々しい光にくらべれば、まったく問題になりません」。しかしポール はこのあと、私のところの女性の大学院生二人と恥ずかしげもなくべたべたして、 彼女たちの自宅の電話番号を聞きだそうとした。性欲が欠如しているのに性的な儀 式に夢中になるという矛盾したとりあわせが見られるのは、側頭葉てんかんの患者 には珍しくない。 ○ ところで、このポールにとっての「神」とは何だろうか。 明るい光との一体感、ということになるだろう。「一体感」は、発作による「情動の過敏」 の状態であると考えられる。 ここでは、神は、明るい(神々しい)光であって、「実体化」「視覚化」されてはいない、抽 象的な「神」だ。 これは、中沢新一の「二種類の神」の概念から言えば、見事に「ハイ・ゴッド(高神)」の概 念と対応しているように見える。 (ここから先は、単なる思い付きだ。) 中沢新一の二種類の神のもうひとつは、「来訪神」ということになる。「来訪神」は、具体 的な奇異な姿を持ち、眼に見える視覚的な神だ。これは、『脳のなかの幽霊』の問題として言 えば、統合失調症のような、幻覚の症例が対応しているのではないだろうか。 二種類の「神」の、どちらにしても、脳の現象としては、ありえることのように思われる。 （この項、了） |