○

　「今週は学校に来なかったね」

　「私はパマン・アブのために家事をしているの。従弟のアリはまだ八歳なので、私

　の助けが必要なのよ」

　　アブは村の商店主だが、何日間もかかる別の島まで自分の小舟で道案内をしてケ

　ンバン・チリのクルーを買物に連れていったことを私は知っていた。クルーは早く

　ジャワに帰りたがっていて、私は銀行の信用状でかれらの支払いを済ませていた。

　「彼はいつ帰るの」

　「今日の日没まで」彼女は確信をもって答えた。

　「どうしてわかる」

　「彼がやって来るのを見た」

　　私たちは海から村が隠れる地点まで歩いてきていた。珊瑚礁の上にふたつの岩が

　見張りのように立っている門「ピントゥ」の向うに北と西に水平線が広がっていた。

　「私には何も見えないが」

　「彼はやってくる。別の舟と一緒に」

　　私は彼女が指す方向を見たが、まだ何も見えなかった。視力はいいはずなのに。

　「どこに見えるのか教えてくれ」

　「ワー！　あなたに見ることも教えなければいけないなんて、いったい誰がグルな

　の」

　「そんなことはどうでもいい。舟を見せてくれ」

　「舟なんて見えるはずがない！」

　「しかしさっきは……」

　「パマン・アブが近くにいて、一人ではないと言ったのよ。私は舟なんて見えない。

　ただやってくるというしるしが見えるだけ」

　　私はますます混乱してしまった。

　　ティアには予知能力があるのか、叔父さんとテレパシーで通信しているにちがい

　ないと思いはじめた。そのいずれの可能性にも驚きも不安も感じなかっただろうし、

　彼女が目を閉じたままで予知をしても私は納得しただろう。

　　西洋の霊能力者とつきあってきて、この種の「見る」ことには慣れていたが、ど

　うしてティアが海の上を一生懸命見ているのかがわからなかった。「トゥアン、考

　えてごらんなさい」彼女は今、私に対してとてもやさしく、丁寧になっていた。

　「二羽の闘鶏が踊るときはどうなる」

　　私は肩をすくめた。

　「村で見たことがあるでしょう。お互いの近くまで飛んでいって、それから上るで

　しょ」

　　手を一五センチくらい離して見せた。「両方とも壁にあたってそれ以上進めなく

　なる。いずれも攻撃しようとするが、何かに引き止められているようで動けない」

　　子供に動物生態学を教えられているわけだ。しかし私は聴いた。

　「それで、注意して見ればその壁は見られる。それは煙のような黒い線になる。そ

　して、何かがそれを押しのけるまでは両方の間にさがっている。つぎにおんどりは

　足でお互いを蹴る。どちらかの上に煙が流れて、煙がかかったおんどりは必ず負け

　る。みんなそれを知っているわ」

　　私は知らなかった。私は裸にされたような気がして何を言っていいのかわからな

　かったが、彼女は返答を期待していたわけではない。

　「犬も水牛も同じ。人も。学校で誰かが怒ると、その煙は教室全体を覆ってしまう

　が、それをすぐ放棄するから煙も早く消えていく。強い感情は何でも同じ。恐怖も

　愛情も憎しみも、全部煙を作るが、それぞれ色が違う。そして全部風の中の煙のよ

　うに吹かれて消えるけど同じ色のものが接触すると合わさって壁ができる」

　「そして、アブの小舟はそういう色を作るわけ？」私は彼女がいわんとしているこ

　とがわかったように思ったが、ティアは首を横に振った。

　「私たちがしているように海岸をただ歩けば、特別な色はない。しかし目的をもっ

　て旅をする場合はちがう。人は、重要な所に行ったり、長旅から家に帰るとき、自

　分のまわりに形を作り、その形が先行して目的地に触れる。昨夜海を見ていて、私

　は叔父の形と色が見えて、彼が帰ってくることを知った。今朝はもっとはっきりと

　それが見えるけど、それと一緒に未知のものが見える。新しい人たちとしか考えら

　れないわ」

　　そこまで言うと彼女は振り向いて家事をしに戻っていった。

　　私は長い間水平線をみつめて海岸に立っていた。目を細めてみたり、横目を使っ

　てさっと見たり、いろいろな形を雲の中に見ようとした。何も見えなかった。

　　しかし、正午になると、二隻の舟が見えたことを告げる子供たちの声が聞こえ、

　日没前にはアブの小舟が礁湖にゆっくりと入ってきて、その後にはブギス（＊セレ

　べス島南西部の島民）の貿易船の大きな三角帆がひかえていた。

　　　　　　　　　　　　○

　共感覚者・ティア(「ティアの共感覚」の項、参照)の能力は、驚異的だ。

　ティアは、船で海に出ているおじさんがいつ戻るか、また、それについて見知らぬ人の船も

やってくることを、正確に言いあてることができている。

　ティアの説明を聞いていると、それは、「予知能力」でもなければ、「テレパシー」でもな

い。ティアに備わっている「マルチカラーの共感覚」の能力を、遠隔化して使うことによっ

て、ティアは、おじさんの船の帰りを予言しているように見える。海を見ていると、肉眼では

船は見えないが、おじさんの「色と形」(＝「やってくるというしるし」)が見える。見知らぬ

「色と形」も見えるから、未知な人も一緒にいると考えている。

　船の映像が見えるのではなくて、その人間特有の「色と形」が見えていることは、ティアが

共感覚を使って、人間を見ていることの証明にもなっている。

　こんこなとはありえない、と言っても始まらないだろう。動物は、時として、驚異的な能力

を発揮することがある。ティアが、こういう能力を持つことも、ありえると言えるのではない

だろうか。