…オリヴァー・サックスは、「肉体を持たない女」との異名を持つクリスティーナの

　事例を詳細に紹介している。クリスティーナは、脊椎にウィルスが感染した結果、身

　体感覚を完全に喪失してしまった。書類かばんを持っていたとして、クリスティーナ

　がそれに注意を向け忘れてしまえばその瞬間に、書類かばんは文字通り、彼女の両手

　から落ちてしまうだろう。またクリスティーナは、自分の両手両足をじっと見ていな

　ければ、それらがどこにあるのかは、まったくわからないだろう。意識を集中し、口

　を閉じたままにしていなければ、クリスティーナのあごは重力に逆らえず、口があん

　ぐり開いてしまうだろう。これは、筋肉が弱いせいではなかった。それは、自分のあ

　ごの位置についての感覚情報がなかったためである。クリスティーナには以前同様、

　身体感覚を感じ取ることはできていたので、つまりこの固有受容感覚は、触覚や痛覚

　とはまるで違うものだ。

　　　　　　　　　　〇

　このクリスティーナの症状は、自閉症者の「見えないものは、ない」の感覚とよく似ている。

　ニキ・リンコは、こたつに入ると「足がなくなる」と言っているし、傘を持っていると、どこ

からが傘で、どこまでが手か、わからなくなると言う。また、子供の頃は、みんなには背中があ

るが、自分には「ない」と思っていた。自分の背中は見えないからだ。今でも、自分に背中があ

ることは、「半信半疑」くらいに感じているらしい。

　自閉症者の中には、「固有受容感覚」がうまく感じられていない人がいる、ということがよく

わかるし、誰でも、クリスティーナのように「固有受容感覚」がもてなくなると、身体の境界が

わからなくなることがありうるのであり、自閉症と定型発達とは、連続性であることがよくわか

る。　

（この項、了）