やがて水が引くと、美佳さんたちは親戚の家に身を寄せながら夫を探し回った。そ

　して二週間経った三月二十五日、自衛隊によって発見される。

　　美佳さんたちが不思議な体験をするのはこの前日の深夜か当日の早朝である。

　　「突然、あの人が夢に出てきたんです。あの人は寝室の入口あたりに立って何も言

　わず、じっと私を見つめているんです。モノクロのスチール写真のようでした。私は

　うれしくて、『ああ、いたんだね』と言ってハグしようとしたら目が醒めたんです。

　朝起きて、息子にお父さんの夢を見たよと言ったら、『俺も見たんだ』って言うんで

　すよ。『どんな夢だったの』とたずねると、『しっかりしろと怒られたんだ』そうで

　す。初めて怒られたので、夫の顔もまともに見れなかったそうです。

　　主人とは学年で六つも違っていたから喧嘩にならなかったのでしょうが、私が一人

　で怒っても相手にしなかったし、やさしくて争い事が嫌いで、子供たちにも怒ったこ

　とがないんです。それなのにどうして夢の中で……。あのとき息子は高校を卒業した

　ばかりで、四月から仙台の専門学校に行くことになっていました。

　　実はね、あの子は難しい状態で生まれたんですよ。だから主人は、家を離れてやっ

　ていけるか、心配だったのかもしれません。私が、『きっとあなたのことを心配して

　いたんだね』と言うと、息子は黙って肯いていました。

　　『二人が同時にお父さんの夢を見るなんて、今日は何かあるかもしれないね』と言

　い合っていたら、その直後に警察から夫の遺体が見つかったと連絡が入ったんです」

　　この数日後に、雅巳さんは大学一年生だった娘の夢にもあらわれたという。あらわ

　れたのは震災当時に住んでいた家だった。

　　「娘は二階のリビングにいたのですが、ガラス戸に白い影が通り過ぎた気がしたの

　で、『もしかしたら！』と思って開けたらお父さんだったそうです。びっくりして、

　追いかけなきゃと思って『行かないで！』と叫びながら走ったのですが、主人は二十

　段ほどある階段を二、三歩で下の方に降りて行ったようです。店内は明るく誰もいな

　かったのですが、そこでやっとお父さんに追いつき、『ずっと逢いたかった』って抱

　きついて泣きじゃくっているのを、主人が笑顔で見ているところで夢から醒めたと言

　ってました。実はね、娘も問題を抱えて生まれてきたんです。だから、夫は二人の行

　く末が、本当に心配だったに違いないんです」

　　　　　　　　　〇

　「３．１１」で、お父さんだけが、家に鍵をかけるのを忘れたと言って帰り、その後に津波が

やってきて、そのまま音信不通になってしまった。

　化学的言えば、お父さんの死体の発見と、夢とには、何の関係も無く、たまたまの偶然だとい

うことになるだろう。また、同時期に家族が夢を見たのも、偶然だ、ということになるだろう。

　僕には言えることはないのだが、人間の脳というのは、こういう体験をしうるものなのだと考

えた方がいいのではないだろうか。それは、非科学的ということではないのではないだろうか。

　瀕死者が、朦朧とした意識の中で、ハッキリと実在の人物が、生きろと励ましてくれる体験を

している。「３．１１」のような、突然の大地震のショックと、突然の肉親の死は、瀕死者のよ

うな劇的な体験を強いられたのではないだろうか。

　それは、昔の人間にとっては、普通の体験のあり方、だった。

　「意識」を介在しない体験ということがありうる。そういう体験と言うのは、右脳を通過し

て、「感覚（実感）として」体験するのではないだろうか。昔の人間は、そういう体験の方が普

通だったのだと思う。

　※僕のとりあえずの「思いつき」を書いておくと、初期の人間が、宗教を作ったモチベーシ

ョンは、内側から湧いてくる内臓感覚からやってきたのではないだろうか。「意味」は、後から

やってきた。

　ユングの「集合的無意識」も、「内臓感覚」からやってくるものなのではないだろうか。

　フロイトは、そこに「意味」を見出し、言葉化（エス）することができた。

（この項、了）