「最初から聞かせてください。五歳のとき以来、ずっと道に迷っているんですか？」 「いいえ」とシャロンは答えた。「世界が完全に正常に見えているときもあって、 そういうときは全然問題なく道がわかるの。けれど突然世界がひっくり返ると、自 分のいる場所が全くわからなくなる」 「そのことを誰にも話さなかったんですか？」 「ええ。その代わりにクラスの道化役になったわ。一人で耐えて、みなを笑わせ ていれば誰にも秘密を知られないですむと思ったから。だからクラスの笑わせ役に なったのよ」 「そのおかけであなたが大体いつも、自分のいる場所が全くわからなくなってい ることを、誰にも気づかれなかったんですね？」 「ええ。学校へ行くときは、友達の後をついていったし、授業中にわからなくな ったら、時間が終わるまでその部屋の様子を覚えておこうと努めた。次にわからな くなったときに、物の場所がわかるようにね」 シャロンはまだ少女だった頃に解決策を偶然発見した。友達の家のパーティで、 ロバの尻尾つけゲームで並んでいて、次が自分の番というときだった。 「この遊びは知っているでしょう。目隠しをしてぐるぐる回ってから、尻尾を正 しい場所に貼りつけるのよ。私は回った後、何かおそろしく変だってことがわかっ た。まるで完全に間違った方向に向かって歩いているみたいな感じだった。私はロ バに尻尾を貼りつけて、みないつものように笑ったの。私は目隠しを外してこう思 った。『友達の家にいるのはわかってる。でもここは友達の家に見えない』」 このピンチの瞬間は後から考えると、生涯彼女の方向感覚を助けることになる神 からのご加護だった。また彼女の番がきて、目隠しをし、ぐるぐると回ったとき、 シャロンの世界はぴったり元に戻ったのだ。 「このときに、回ると方向感覚を失うとわかったの。でもそれと同じで、回ると 治ることもわかった。最近は一番近いお手洗いを探すと、個室に入って、目を閉じ てぐるぐる回るの。その感じはうまく言えないわ。音もないし、ただ全てが正常に 戻ったとわかるの。目を開けると、見覚えのある世界に戻っている」 〇 シャロンは、家の中でも、迷子になってしまう。突然、今いるところが、どこなのか、わか らなくなってしまうのだと言う。 僕たちの、頭の中の地図が、突然、変わってしまったら、僕たちだって、混乱するに違いな い。僕も、最近、いつも行くスーパーの駐車場に、自動車をとめたら、止めたところがどこか わからなくなって、駐車場をぐるぐる回ってしまった。 我ながら、どうしてわからないのか、不思議なのだ。いつもこの辺にとめているし、今日も その周辺にとめているはずだ、というのは、確信しているのだが、何度回っても、自動車に付 けない。さすがに、不安になった。 脳の中の地図が、混乱してしまったのだろう。 シャロンは、ぐるぐる回ると、地図が消失するが、反対に、グル回ると、地図が復活もする と言う。 たぶん、ぐるぐる回ることで、頭の中の地図が、リセットされる、ということだろう。 ヘレン・トムスンは、シャロンに、「世界がひっくり返る」とは、どういう感じなのか、聞 いている。とても、いい質問だ。 〇 「あなたは今日は忙しく買い物をしてきた。今は最後のお店を出て、左に曲がり、 駅に向かっているところ。」 私はその場面を想像した。 「けれど突然、駅が本当は右側にあることに気づくの。いまいるのが、自分が思っ ていたのと反対側の位置にあるお店だから。このコンマ何秒かの間、あなたは一時 的に方向かわからなくなる。駅は東側にあるはずだと思っていたのに、いまは西側 にある。世界が物理的にひっくり返ったわけじゃないけれど、自分が思っていたの と逆になっているのよ」 こういうことが起こったとき、ほとんどの人の脳は驚くほど寛容だ。混乱が起こ るとすぐに、脳はすべてを回転させ、コンマ何秒のうちにもう一度方向を把握し直 す。けれどこの一瞬の間、認知地図と現実の世界は一致しない。これがシャロンの 言う、世界がひっくり返った状態だ。だからロッキー山脈が急に北に見えるように なったと彼女が思ったとき、彼女の認知地図のロッキー山脈は北に動くが、もちろ ん現実の山は物理的には動いていない。 シャロンはこう語った。「私はほかの人たちみたいに自分の世界を元に戻せない。 ワンダーウーマンのまねをしない限りね」 〇 脳の中の地図は、絶えず、更新されている。あまりにも、普通のことであるために、僕たち はそれに気づいていないだけだ。 脳の中の地図と、現実の地形が一致しなくなってしまうと、家の中でも、迷子になってしま う。 （この項、了） |