（注7）同じようなことが一九六五年に私にも起こった。当時の一部の医学生や医

　学実習生と同じように、私は大量のアンフェタミンを服用していた。そして二週間、

　ふだんはもっていない異常な能力が、いろいろと身についていることを自覚した。

　　知人を全員、においで識別できただけでなく、非常に正確で安定した視覚イメー

　ジを頭のなかにとどめ、それを写生器を使うように紙の上に描くこともできた。音

　楽の記憶と編曲の能力も大幅にアップし、複雑なメロディーを一度聞いただけで、

　ピアノで再現できた。このように新たな能力を獲得し、それとともに知覚できる世

　界がぐんと広がったわけだが、自分の抽象的思考力が極端に弱くなったことに気づ

　くと、楽しみは半減してしまった。それから何十年も経って、私はブルース・ミラ

　ーの患者やアラン・シュナイダーの実験のことを読んだとき、アンフェタミンが一

　時的に側頭葉を脱抑制し、「サヴァン」の能力を解放したのではないだろうかと考

　えた。

　（注8）　京都大学の松沢哲郎らが現在行っている、チンパンジーの数字記憶範囲

　についての研究が、このような「原初の」能力の例になるかもしれない。松沢は川

　合伸幸と共著の論文で、若いチンパンジーのアイが、就学前の子どもより多い五個

　以上の数列を記憶できることを示した。そして最近シカゴ大学で行われた「チンパ

　ンジーの心」というシンポジウムで、さらに訓練を受けたアイが、たいていの成人

　した人間を超える作業記憶力を身につけた経緯について説明した。そして「私たち

　に共通の先祖は、即時記憶力をもっていたのかもしれないが、進化の過程でこれを

　失い、言語のような技能を獲得した」と述べている（略）。

　　　　　　　　　〇

　オリヴァー・サックスは、アンフェタミンを服用することで、一時的な「サヴァン」状態を

体験したと言う。

　知人を全員、匂いで識別できた。複雑なメロディーを聞いただけで、ピアノで弾くことがで

きた。

　頭の中に鮮明な視覚イメージがあり、それを、「転写」することができたと言う。

　僕が興味深いのは、視覚イメージを「転写」できた、というところだ。自閉症者で、視覚イ

メージを正確に「転写」「描出」できる人がいるが、この能力を使っているのだろう。

　アンフェタミンを服用することで、オリヴァー・サックスに可能だったとすれば、「サヴァ

ン」の能力は、誰の脳にも潜在している能力だと言うことができるだろう。

　だが、「サヴァン」の能力を獲得するとともに、抽象的な思考力が極端に落ちたことにも気

づいた。

　また、チンパンジーの記憶力も人間を超える作業能力があると言う。

　「私たちに共通の先祖は、即時記憶力をもっていたのかもしれないが、進化の過程でこ

れを失い、言語のような技能を獲得した」

　というのは、オリヴァー・サックスの言っていることと一致している。

　かつて人間は、共感覚や、直観像記憶で、鮮明で豊かな記憶力を駆使することができてい

た。

　だが、言語が発達し、抽象的思考力が発達すると、その過程で、豊かな記憶力は失われてし

まい、衰えていった。今では、共感覚者や、自閉症者の中に、その能力の名残りを垣間見るこ

としかできなくなってしまった。

（この項、了）