（注2）あるいは、そう思われていた。最近、医師のトルーマン・エーベルによる

　一八四五年のすばらしい報告を見つけた。彼は五九歳で視力を失い始め、四年後の

　一八四二年に完全に失明した。彼はこのことを『ボストン・メディカル・アンド・

　サージカル・ジャーナル』誌の記事に書いている。

　　「そんな状況でたびたび、視力が回復してとても美しい風景が見える夢を見た。

　　しまいにその風景は、目が覚めているときに縮小版で現われるようになった。九

　　〇センチ四方くらいの小さい野原が、緑の草や、野菜や、花で覆われている。そ

　　れが二分か三分続き、そして消える」。風景のあとにも実にさまざまな「錯覚」

　　が「内なる視力」によって見えた。エーベルは「幻覚」という言葉を使っていな

　　い。

　　　　　　　　　○

　　　着飾った何千という人々がずらりと並んでいるのが見えることもあった。その

　　隊列ははるか遠くへと消えていく。あるとき彼は「馬に乗って西に向かう男たち」

　　の「幅一キロ半以上ある隊列」を見た。「列の通過は何時間もずっと続いた」。

　　　エーベルは詳細な説明の最後にこう書いている。「私がここで述べたことは、

　　幻を見た経験のない人にとっては信じられないことに思えるにちがいない。……

　　このような結果になったことに、私の失明がどれだけ関与しているのか、私には

　　わからない。これまで私は、人間の心を小宇宙になぞらえる古代のたとえがよく

　　理解できなかった…［それでも］面積四分の一四方未満の小さい心の視覚器官の

　　なかに、すべてが閉じ込められているのかもしれない」。

　　　　　　　○

　トルーマン・エーベルは、完全に視力を失うと、かえって鮮明でリアルな夢を見るようにな

った。

　そしてやがて、目が覚めているうちにも、鮮明な映像が見えるようになった。

　エーベルは、それを「幻覚」とは呼ばずに、「内なる視力」だと言ったと言う。

　現実の視力を失うと、脳の視覚の回路が活性化されるのかもしれない。

　良い機会なので、「幻覚」で思いつく引用を集めておきたい。

　　　　　　　○

　　一九五七年の話です。わたしは、サンディエゴ基地に停泊している空母ワスプで

　勤務する夫に会うため、大陸横断の自動車旅行に出ました。ミズーリ州ジョプリン

　とクルサの間を走っているとき、激しい雷雨に見舞われました。時間は午前二時頃

　です。

　　フロントガラスを叩く大きな雨粒の勢いで、ワイパーも役に立ちません。前が全

　然見えないわ、とわたしは思いました。車線もぼやけ、運転し続けるには危険な状

　態です。止まらざるをえませんでした。前が見えないんだから、溝にはまってしま

　うかもしれない……。事故に遭ってしまうかも……。手のひらに汗がにじんできま

　した。そしてわたしは「神様、助けてください！」と声に出していったのです。

　　ふと気がつくと、白いフォルクスワーゲン・ビートルが前を走っていました。ウ

　インカーを点滅させています。ナンバープレートはオクラホマ州のものでした。他

　に車が走っているのを見て、わたしは少し安心しました。この人は土地勘があるに

　ちがいない。後についていってみよう。

　　白いワーゲンの後について走っていると、高速の出口が見えてきました。そこで

　下りて、後についたままガソリンスタンドに入りました。

　　車を止めて視線を上げると、今まで前を走っていたはずのワーゲンがいなくなっ

　ていました。そしてわたしは気づいたのです。わたしの祈りが天界に届き、白いワ

　ーゲンを先導車として遣わしてくれたのでしょう。羽の代わりに、四つの車輪をつ

　けた天使です。天使が、わたしを安全な場所まで連れていってくれたのです。

　　　　　　　　　○

　いわゆるスピリチュアルの幻覚の例。

　僕自身は、「天使」を信じているわけではない。

　この鮮明な「フォルクスワーゲン」の像は、「内なる視力」の成せる技、と言うべきではな

いだろうか。

　　　　　　　　　○

　　私が龍に会ったのは、１７歳のとき、高校２年の夏でした。

　　いつもと同じ田んぼのなかの通学路を、いつもと同じように自転車で帰宅してい

　たある日、突然、龍が目の前に現れたのです。

　　といっても、最初は龍だとはわかりませんでした。龍のような架空の生き物を実

　際に見ることなど、普通は誰も想像すらしないでしょう。もちろん、私もそうでし

　た。その日も「早く帰ると農作業の手伝いをさせられるから、なるべくゆっくり帰

　ろう」などと考えながら、のんびり自転車を走らせていました。

　「おやっ？」と思ったのは、私の数メートル先を歩いていたおじさんの動きがピタ

　ッと止まったのに気づいたからです。

　　おじさんはつなぎを着て頭にタオルを巻き、幅７メートルほどの道路の右側を歩

　いていました。道路の左側をおじさんと同じ方向に向かっていた私は、ほぼ横に並

　んだ瞬間、おじさんに目をやりました。すると、おじさんが片足を上げた状態で静

　止していたのです。

　「何をしているんだろう？」と思い、私は自転車を止めました。

　　よくよく見ても、おじさんは微動すらしません。

　　そのときです。大きなワニのような顔が道路を横切って、目の前にドタッと現れ

　たのです。それは、ワニの親分のような顔でした。しかし、ワニにはヒゲはありま

　せん。ゴツゴツした肌の質感が、子どもの頃に図鑑で見た恐竜にそっくりです。怪

　物だ、と思いました。

　　突如として現れた怪物は、巨大な口を開けて、人間の太ももほどもあるヒゲをゆ

　らゆらとゆっくり動かしていました。口が大きすぎて、目までは見えません。口を

　パクパクと何回か動かし、しゃべりかけているかのようです。その顔は、道路の左

　側にある生け垣から現れ、口の先端は向かい側にある家まで伸びていました。横に

　いたおじさんを見ると、まだ片足を上げて静止したままです。

　　怪物の顔は、私のすぐ前に横たわっています。驚くというより、ただただ唖然と

　するしかありません。怖いという感覚すら起こりません。

　　呆然としながら、私は「もしかすると、今、時間が止まっているのかもしれない

　なと思いました。交通事故に遭った人が、よく「時間がスローモーションのように

　動いた」と付いますが、まさにそんな感じです。

　　すると次の瞬間です。怪物は、近くにあった松の木の先端にスッと移動しました。

　　生け垣の脇には湧き水があり、その横に松が２本立っていました。怪物は、一瞬

　で松の先端に移り、尻尾を松にからませてまっすぐ空へと伸びていたのです。太い

　松と細い松がありましたが、龍が留まったのは細いほうの松です。

　　長々と伸びたその姿を見て、私は初めて「龍だ！」と思いました。

　　　　　　　　○

　木村秋則は、スピリチュアルな体験は、たくさんしている人だ。

　龍も見ているし、宇宙人にも会っている。

　この龍も、見事な映像になっている。

　木村秋則の特徴は、霊的な体験が、「奇跡のりんご」作りや、自身の思想と、密接に結びつ

いているところだ。

　もうひとつ、思いつく「幻覚（内なる視力）」の例がある。

　　　　　　　　○

　　私にはいつのころからか、あるひとつの不思議な記憶があります。

　　それは、雲の上に自分がいて、列に並んでいます。私の前には５〜６人の自分と

　まったく同じ姿形をしていて（頭が白くて丸い、体は２頭身で背中に羽がある）、

　先頭にはひげもじゃのつえを持った男の人がいます。私の一番になると男の人が私

　の頭をなでて「好きなところに行きなさい」と言って私の背中を押します。すると、

　すべり台のような上をすべって降りて行くのです。

　　記憶はそこまでです。恐らくこの世に生まれる前の記憶だと思います。「好きな

　ところへ行きなさい」と言われて自ら選んだ親を、時おり恨むこともありますが、

　そのようなときはこの記憶を思い出し、初心にかえるようにしています。今１歳に

　なる娘も同じようにして、私たちのもとへ来たのだと信じています。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　えつこさん（２５歳）

　　　　　　　　　○

　出生前の「記憶」についての記述。

　これも、オリヴァー・サックスの引用、「天使体験」、「木村秋則」と同型だと僕には思わ

れるのだが、どうだろうか。

　僕は、出生「以前」があるとは思っていない。

　だが、こういう「記憶」がある子どもはいると言われているし、記憶がとても鮮明なもので

あることも事実だ。

（この項、了）