四八歳男性。左後頭葉梗塞。

　　脳梗塞発作時の症状は省略するが、発作翌日から、右同名性半盲の欠損視野内に

　幻視が出現するようになった。

　　見えるものはピラミッド、彫刻、段はしご、汗じみた制服を着たローマ兵士たち

　などで、すべて自然な感じよりもずっと明るく見えた。開眼や閉眼には影響されず、

　見え続けた。

　　三日後、見えるものは閃光や、線や、ギザギザなどに変り、それらに重なって、

　青と白のビリヤードの玉が見えた。

　　次の日から幻視はまた変化し、猫ばかり見え出した。親猫の首、子猫の首、自分

　を見つめる猫の群れなどが右の視野に出現した。猫には始め色がついていたが、そ

　のうち、色が消え、猫の数も減り、最後には灰と白のまだら猫一匹だけになった。

　この猫がいつも右視野に住んでいるのでＤｅｘｔｅｒ（右）という愛称をつけた。

　一か月後Ｄｅｘｔｅｒは行ってしまい、右側の視野はただの暗黒となった。　　

　　　　　　　　○

　　もう一例引いてみよう。

　　六二歳女性。音楽教師。

　　右後頭葉梗塞が生じ、この結果左同名性半盲を生じた。四か月後、突然左視野に

　さざ波のような、渦のようなものが見えはじめ、二日間続いた。

　　三日目から、形がはっきりしてき、等身大の人々が左側から彼女のほうへやって

　くるのが見えた。彼らは重々しい表情で、特徴のない顔付きをしていた。彼女の傍

　を通りすぎるとき、彼女のほうを見る者もあり、お辞儀をする者もあり、首を振る

　者もあり、顔をそむける者もあった。モスクワの赤の広場のレーニン廟に横たわっ

　ているような気がした。ときどき犬が尾を振りながら通りすぎた。

　　次の日、幻視はおさまったが、なにかの刺激、たとえばサイレンの音などを聞く

　と、たちまち左側を通りすぎる人々が現れた。

　　一週間後幻視はすべて消失した。

　　　　　　　　○

　これらの「幻視」の症例は、ラマチャンドランが『脳のなかの幽霊』で引用していたと記憶

しているが、珍しいので、この症例も引用しておく。

　脳の梗塞によって、視野の中に「盲」の部分ができると、その「盲」の部分に、さまざまな

画像（幻視）が見えると言う。

　それは、「開眼」「閉眼」関係なく「見える」。

　脳が視野の中に「盲」の部分があると、「そんなことはありえない」ために、とりあえず、

画像をあてはめてしまう。画像があれこれ変わっているのは、脳が無意識のうちに、あれこれ

「試して」は「違う」と判断しているのだろう。

　この二例を見ると、「盲」の中に見える「幻視」は、まったくランダムなもので、脈絡は感

じられない。本人たちも意識していない。脳が自動的に判断して、映像を変えている。

　自分で意識して、コントロールすることはできていないのも、特徴的だ。

　（この項、了）