遊びが高じて興奮すると、ペニスをモーラに近づけてくる。モーラは、恐怖を感じて、陸に上 がってしまう。 ホラス・ドブスは、イルカのペニスについて、興味深い見解を披瀝している。 ○ ではドナルドがペニスをのばしてモーラに近づく行動はどう解釈すればいいのか。 これはわたしの仮説であるが、イルカのペニスは排尿や生殖を目的とした排泄交尾 器官としての役割のほかに、対象物をくわしく調べるための触診センサーの機能を もっていると思われる。今までに見てきたことからもわかるように、イルカはとて も好奇心が強く、自分を取り巻く世界について、できるだけ多くの情報を得ようと する。だからよく知りたい対象が自分に対して無害だということがわかると、次に、 もっとよく知ろうとして、相手についての微妙なことまでわかる触覚器官を使って 調べようとする。 ○ イルカを取り巻く水中の環境は、冷たく、一瞬あとには何が起こるかわからない 世界だ。このことはイルカやクジラの体表にたくさんの傷があることでわかる。だ からかれらの体外器官は完全に防護されていなくてはならない。そのためには、当 然のことながら、対象物を微妙に探る感覚神経は厚い防護組織の下にかくれてしま い、知りたいものに触れても、よくわからない。このことは、わたしたちが厚い手 袋をはめて何かにさわってみる時のことを考えれば納得できるだろう。この点、人 間の手や指の触診センサーとしての機能は、ぶ厚い皮におおわれたイルカのひれよ りはるかに鋭敏である。 人間にはもうひとつ鋭い触覚器官がある。それは唇で、赤ん坊は何でも口に持っ ていくことによって、この器官を積極的に触診センサーとして利用する。つまり、 おもちゃなどをまず手にとってみてから、口でくわえるが、これは味をみるためで はなく、その対象のなめらかさや回さなどの質感を調べているとみていいだろう。 思春期に達した大人は唇を、特別に関心をもった柏手をよく知るために用いるよう になる。 イルカにも唇があって、たしかに敏感だが、対象物の微妙な違いや質感がわかる ほど皮膚が薄くない。そこでこれらのかわりをはたすものとしてペニスが登場する。 わたしのこの仮説はイルカのペニスの構造からみても妥当といえる。陸上哺乳類 のペニスは海綿状の組織に血液が流入することによって勃起するが、このプロセス はホルモンによってコントロールされており、ホルモンの分泌は、発情した雌の臭 いのような外部刺激によって起こる。このため、ペニスの勃起と萎縮は、ほかの筋 肉の反応に比べると比較的のろい。 いっぽうイルカのペニスは中央部に丈夫でしなやかな結合組織の束があり、その 分だけ陸上動物に見られるような海綿組織が少ない。このため、イルカのペニスは 勃起してもサイズはあまり変わらないし、その大きさは体全体の大きさに比べて比 較的小さい。またペニスは腹壁の裂け目を開くことで外にでるが、この出し入れも 素早くできる。 ○ 確かに、この人間とイルカのペニスの使い方の違いは、充分にありえることのように思われ る。同じ哺乳類のペニスだからと言って、進化の過程で、人間と同じように、ペニスの機能を 生殖目的に限定したとは限らない。 つまり、モーラは、人間におけるペニスのイメージで、ドナルドを見てしまったために、恐 怖を感じたのだ。 だが、イルカからすると、どうだろう。 イルカの体壁は、海の中を進行するために、硬く厚い表皮で覆われている。人間のような微 細な「皮膚感覚」を、持つことはできないだろう。このために、ペニスをそれに代わる、触診 センサー（「触覚で考える」）として使っているのではないか。 ひょっとしたら、人間も、かつてはペニスを、「触診センサー」として使っていた時期があ ったのかもしれない。 ○ クーストーとディオールはイルカに関する論文の中で、生まれたばかりの雄のイ ルカの子は、産後たった二、三時間でペニスを勃起させることができ、二、三週間 以内に母親を相手に交尾しようとすると書いている。その際、母親は体を横にして 交尾を促し、これが母イルカによる最初の性教育だと書かれている。だがわたしは、 このような、行動の解釈はまちがいだと思う。これは母イルカが赤ん坊に性的なこ と以外の目的でペニスを使うことを教えようとしていると、わたしはみる。ペニス が触診センサーだというわたしの仮説からみると、母イルカのこの行動は、まこと にノーマルなものと見なしうる。なぜならば、雌イルカの胸と生殖器は互いに接近 した位置にあり、赤ん坊のイルカはその両方を調べることになるからだ。イルカの ペニスがほかの機能としての生殖目的をもつようになるのは、もっとあとの成熟年 齢に達してからなのだ。イルカの雄は生涯を通じて、人間が物に触れることから得 る喜びを感知するのと同じ方法で、ペニスを対象物の感知用に使うが、これによっ て、彼らが得る喜びは、人間と同じものか、またはそれよりもっとていどの高いも のなのかもしれない。 今日では、人間とイルカは共に同じ海にすむ祖先からでて、一方は陸に、一方は 海にすむようになったと考えられているが、互いに異なった道を歩む中で、ペニス の使い方も異なり、イルカはペニスを出し入れ可能な触覚センサーとして発達させ、 人間は手と唇がその機能をはたすようになったのだろう。そうだとすれば大昔の人 類の祖先はペニスを生殖用のほかに、タッチ・センサーとして用いていたことも考 えられる。進化のプロセスにおいて特殊器官の機能が失われる例としては、人間の 盲腸がよい例だ。 ○ クストーは、人間と同じようにイルカを見做している。 だが、ドブスによれば、イルカの母親は、赤ん坊のイルカに、生殖器としてのペニスの使い 方を教えているのではなく、センサーとしてのペニスの使い方を教えている。 人間も、かつては、センサーとしてペニスを使っていた（かもしれない）が、上陸して、進 化の過程で、生殖器としてペニスは固定化され、その代わりの情報センサーとして「手」や 「唇」が、分化・発達してきたのだ、と。 真実がどちらなのか、僕には知る由もないが、少なくとも、クストーよりも、ホラス・ドブ スの見解の方が、興味深いものになっていると思う。 （この項、了） |