※ウェズは、札付きの不良少年だが、ある日、一匹の子犬・デュークを飼い始める。デュー

クが病気にかかり、ウェズは、ドクター・ヘリオットのところに連れて行くが、犬はジステン

パーであり、当時の治療法では、治る見込みが低いことがヘリオットにはわかった。

　　　　　　　　○

　　以後の三週間、ウェズはがらりと性格を変えた。

　　彼はそれまで、怠けものの非行少年として知られていた。しかし、早起きをして

　新聞配達をし、庭の手入れを手伝い、競り市へ家畜を連れて行く人の加勢をした。

　彼は今や模範少年であった。多分、私だけが、その変身の理由を知っていただろう。

　彼はデュークのために頑張っていた。

　　彼は、二、三日置きに犬を連れてきた。その都度、現金で治寮代を払ったが、む

　ろん私はできるだけ安くしてあげた。

　　稼ぎを彼は、犬に注ぎこんだのだ。新鮮な肉を買い与えたし、牛乳やビスケット

　なども買いこんだ。

　　ある日、私は褒めた。

　「おっ、今日のデュークはかっこいいな。新しい首輪だね、これは」

　　彼は、はにかんで領いた。そして真剣に訊いた。

　「病気、よくなってる？」

　「ま、変わりなしってとこだ。この病気は、そうしたものなんだよ、ウェズ。ずっ

　と同じ調子で続くのさ」

　　　　　　　　　○

　　この日に続く二週間、デュークの症状は教科書通りに進行した。恐れていた徴候

　が、次から次へと出現した。けいれんが、頭部から前肢へと進行し、ついには下半

　身が揺れ始めた。

　　　　　　　　○

　「デュークを連れてこれないんだよ。歩けなくなっちまってさ。ね、診にきてくん

　ない」

　　私は少年を車にのせて出発した。

　　日曜日。午後三時。通りは閑散としていた。路地の石だたみの道を、少年は先に

　立ち、小さな家へと案内した。

　　一歩、中へ入った時の悪臭はひどいものだった。田舎獣医は臭いぐらいではへこ

　たれないものだが、私は吐き気をもよおした。

　　母親は太っていて、汚いドレスをひっかけていたが、今にもずり落ちそうであっ

　た。煙草を横ぐわえし、台所のテーブルにもたれかかって雑誌に夢中だった。まわ

　りは、汚れた食器が山となっていて、頭にはカーラーをたくさんつけ、私たちの方

　をちらと見ただけであった。

　　父親ときたら、窓際のソファで大の字になって寝ていた。口をぽかんと開け、ビ

　ールの臭いをぷんぷんさせていびきをかいている。

　　流しには、これまた脂だらけの食器が山と積まれていた。そして、気味の悪い緑

　色のかすがこびりついていた。床一面、洋服や新聞紙やわけのわからぬごみが山と

　なって散らかっていた。そしてラジオが、ボリュームを最大にしてつけっ放しにさ

　れていた。

　　たった一つだけ綺麗なのは、隅に置かれている新品のドッグバスケットだけだっ

　た。私はそこへ行き、犬の方へ身をかがめた。

　　デュークはもう、寝たきりであり、どうしようもない状態だった。痩せこけ、は

　げしいけいれんを起こしていた。目は落ちくぼみ、あの黄色の膿がたまっていた。

　　彼はぼんやりと、前方を眺めているだけだった。

　　私はとうとう切り出した。

　「ウェズ。ねむらせるしかないよ」　　　　　　　　　　　　　　　　　　

　　彼は答えなかった。

　　ラジオの音がうるさくて、私の言葉が耳に入らなかったようだ。私は、母親の方

　に振り向いて言った。

　「すみませんが、音をしぼって下さい」

　　彼女は少年に顎をしゃくって合図した。ウェズはラジオのところへ行き、スイッ

　チを切った。部屋が急に静かになった。

　「ウェズ、君が今、犬のためにたった一つしてあげられることなんだ。デュークは、

　苦しんて苦しんですこしずつ死んでいくんだよ。可哀そうじゃないか」

　　私はそう言ったが、彼は私を見ようともしなかった。彼はすべてを犬に集中して

　いた。けれども、やがて彼は呟いた。

　「やってよ」

　　私は車へと急ぎ、ネンブタールを持ってきた。

　「絶対に苦しまないからね。うけあうよ」

　　そう言って薬液を注射器に満たした。

　　小さな犬は一つだけため息をつき、安らかに息を引きとった。不気味なけいれん

　は、終わりを告げた。

　　私は注射器をポケットにしまいながら言った。

　「デュークを連れてってあげようか」

　　少年は戸惑った表情を見せた。そこへ、母親が割りこんだ。

　「ああ、持ってきな。あたしゃ、はなから、飼うのに反対してたんだからね」

　　そう言って、また雑誌を読み始めた。

　　私は死体を抱き上げて外へ出た。私がトランクを開け、黒い仕事着の上にデュー

　クを安置するのを、ウェズは無言で見守っていた。

　　トランクをしめると、ウェズはこぶしで目をこすり、ふるえ始めた。

　　私が肩を抱くと、彼は寄りかかってきてすすり泣いた。私は、これまで彼は、こ

　のようにして泣いたことがあったろうかと考えた。慰めてくれる人がいつもそばに

　いてくれる、普通の子のように……。

　　やがて彼は一歩退き、涙を汚い頬になすりつけた。

　「家に戻るのかい」

　　と、私は訊いた。

　「戻るもんか」

　　彼は答え、背を向けて歩き去った。かつてのきつい表情で……。

　　彼は振り返らなかった。道を渡り、柵を越え、放牧地を横切り、川の方へと歩い

　て行った。

　　その瞬間から彼は、昔の生活へと戻った気がしてならない。アルバイトを一切し

　なくなったし、私にこそいたずらをしかけはしなかったが、他で悪事を重ねるよう

　になった。草舎に放火したし、強盗をし、十三歳にもならぬうちに車を盗んだ。

　　結局、彼は少年院送りとなって、町では姿を見かけなくなった。誰も、彼がどこ

　に行ったか知らなかったし、また、忘れてしまったようだった。だが、一人だけ、

　忘れていない人物がいた。それはグロービーの巡査部長であった。

　　ある日、彼は私に言った。

　「あのウェズレイ・ピンクス、あのチンピラは、生まれつきの悪漢でしたなあ。あ

　いつが好きになったものって、人であれ、生き物であれ、生まれてからずっと、一

　度だってなかったんじゃないかな」

　　私はこう答えた。

　「お気持ちは分かりますがね。部長、正しくはないと思いますよ。犬ですよ。彼は

　一匹だけ、犬を可愛がったのです」

　　　　　　　　○

　ウェズの家庭はひどいものだ。

　ウェズの家庭の様子を見る限り、ウェズは、生まれてからずっと孤独であったに違いない。

　デュークは、ウェズが初めて＜生命＞の大切さ、はかなさに触れた動物だっただろう。

　デュークの存在は、明らかに、両親よりも、ウェズの自尊心を高めている。

　もしも、デュークの病気が治っていたら、ウェズの人生は変わっていたかもしれない。

　動物は、それくらい人間の人生に影響を与える存在だ。

　動物と人間の関係は、不思議だ。

　（この項、了）