「猫をお飼いとは知りませんでした」とぼくは言った。

　　夫人は微笑した。「飼ってはいませんわ。これはデビーです」

　「デビー？」

　「ええ、少なくともうちではそう呼んでいますの。野良猫よ。週に二、三度来るの

　で、そのたびに食事をやることにしています。どこに住んでいるかわたしは知らな

　いけれど、たぶんふだんは道に沿った農場のどこかにいるんだと思いますわ」

　「この猫はここで暮したいというそぶりは見せたことはないんですか？」

　「いいえ」と言ってエインスワース夫人は首を振った。「本当にこの子は臆病なの。

　そーっと入ってきて、食物を食べおわるとすぐに逃げていく。なんだかとても気に

　なる猫でしてね、決して自分の生活にわたしたちを入れてはくれないんです」

　　ぼくはもう一度小さな猫を見た。「しかし今日は食事だけで帰るんじゃなさそう

　ですね」

　「ええ、そう。おかしなことに時々はこの部屋へ入ってきて、しばらくああして火

　の前にすわっていますの。たまには楽なおもいをしようと決めたみたいに」

　「はあ……なるほどね」この猫の態度が少なからず変わっていることは疑えなかっ

　た。彼女は石炭があかあかと燃える暖炉の前に敷いた厚い敷物の上にきちんと背を

　のばしてすわっていた。じっと正面を見ているだけで、身体をまるめようとも、自

　分の毛皮をなめて身づくろいをしようともしなかった。挨にまみれた黒い毛皮と、

　やせたなかば野生的な姿勢を見ているうちにぼくは気づいた。これは彼女にとって

　は特別な夕べ、とても稀なすばらしいことなのだ。ふだんの生活ではおもいもよら

　ない安楽を今精一杯味わっているのだ。

　　ぼくが見ている前で、彼女はくるりと後ろをむき、音もなく部屋を出て、いって

　しまった。

　「デビーはいつもああですの」とエインスワース夫人は笑った。「十分かそこらこ

　こにいるともう帰ってしまうんです」

　　　　　　　　　○

　　デビーはたしかにそこにいたが、様子がすっかり変わってしまっていた。いつも

　のように背をのばしてすわってはいなかった。彼女は横むきに寝てぴくりとも動か

　ず、しかもそのすぐそばには小さな黒い仔猫が一匹まるまっていた。

　　ぼくはびっくりして二匹を見おろした。「いったいどうしたんですか？」

　「とても不思議なんです」とエインスワース夫人は答えた。「わたしはここ何週間

　かデビーを見かけなかったんですが、二時間ほど前にやってきて、それも台所によ

　ろけるように入ってきたんですの、この仔猫を口にくわえて。そのままこの部屋ま

　で入ってきて敷物の上にこの子を置いたんで、わたしはじめはおもしろがっていた

　の。でもどうも様子がおかしくて、はじめはいつものようにすわっていたんですが、

　さっき−−一時間くらい前かしら−−こうして横になって、あとは全然動こうとし

　ないんです」

　　　　　　　　　○

　　ぼくはためらった。「ええ……そう、残念ながらそうです。悪性のできものがあ

　ります」ぼくは立ちあがった。「ぼくにできることは何もありません。残念ですが」

　「ああ！」彼女は口に手をあてて、驚いた目でぼく見た。やっと口がきけるように

　なった時、彼女の声はふるえていた。「それじゃ、この子をどうか眠らせてやって

　下さい。できるのはそれだけです。苦しませたくはありませんわ」

　「エインスワースさん」ぼくは言った。「その必要もないんです。デビーは今死に

　かけています。昏睡状態で何の苦痛も感じていません」

　　　　　　　　　○

　「あなた以上のことは誰にもできませんでした」とぼくは言った。「あなたほど親

　切な人はいなかった」

　「でもわたしはこの子をここにおいてやらなかった。ここは楽なのに−−こんな病

　気にかかって、外の寒さはさぞかしつらかったでしょうに−−そんなことは考えも

　しなかった。仔猫もいるというのに……いったい、何匹いるのかしら？」

　　ぼくは肩をすくめた。「さあ、それはわかりませんね。この一匹だけかもしれな

　い。よくあることです。それに自分の子をここに連れてきたんでしょ？」

　「そう……そうなのよ……連れてきた……連れてきたのよ」エインスワース夫人は

　手をのばして、黒い小さな仔猫を抱きあげた。汚れた毛を指でこすってやると仔猫

　はニャーオと鳴く形に小さな口をあけた。「不思議なことですわ。死にかけてた時

　に仔猫を連れてくるなんて。しかもクリスマスの日に」　

　　　　　　　　　○

　こんな話は初めて聞いたので書き留めておく。

　デビーという猫は野良猫で、決して、人にはなつかなかった。エインスワース夫人の部屋に

時々やってきては、十分くらいの時間を、満足して過ごしては帰ってゆく。

　だが、クリスマスの日に、一匹の子猫をつれてきて、自分は死んでしまった。

　一般的には、飼い猫は、死ぬ時は、家から出て行ってしまうと言われている。

　デビーは、家にはなつかないで、死ぬ時になって、家に来た。

　それがクリスマスの日というのは、いくらなんでも「出来すぎた偶然」だろうが、こんなこ

とがありえるのか、と驚かされた。

　子猫は、エインスワース夫人の飼い猫になった。

　（この項、了）