自分の身の安全だけを考えたとしたら、キングは開いているスライドドアから、

　かんたんに外に出られたはずだ。だが、彼にとって最愛の人たち、ファーンとハワ

　ードのカールソン夫妻とその娘パールが家の中にいた。そして彼は家が燃えていて、

　三人が危険にさらされているのを感じとったにちがいない。外に逃げ出すかわりに、

　キングは安全な場所に背を向け、自分と家族をへだてるドアを壊しにかかった。さ

　いわいドアは中が空洞で、割れ目ができていた。彼はその部分を手がかりに牙と爪

　を使って合板を裂き、板をはがした。口に破片が刺さるのもかまわず、中に入れる

　ほどの穴を開けるために、彼は牙を立て、爪で引っかきつづけた。

　　穴がかなり大きくなったころ、となりの部屋が燃えはじめた。これでカールソン

　一家のところまでいくには、その火の中をくぐり抜けねばならない。犬は逃げたい

　と思えば、開いているドアからいつでも外に出られたのだ。だが、キングはその道

　はとらず、ドアを裂いて穴を開けつづけた。ようやく通り抜けられるくらいの穴が

　できると、彼は穴に頭を突っ込み、ぐいと身を乗り出した。大きな体で狭い穴を無

　理やりくぐり抜ける途中、とがった木片が彼の首に突き刺さった。

　　　　　　　　　　　○

　　パールはキングを連れて、両親のファーンとハワードが寝ている部屋へ走った。

　パールが母親を揺り起こしたころ、煙はすでに部屋の中まで入り込んでいた。ファ

　ーンはすぐに危険を察した。彼女はハワードをつつき、「起きて！　逃げるのよ！」

　と叫び、パールと一緒にその部屋の窓から外に飛び出した。家は平屋であり、どこ

　も炎に包まれていたから、逃げ出すにはそれが一番自然な方法だった。ぶじに抜け

　出したパールとファーンを、キングが窓辺から見ていた。二人は芝生から「ジャン

　プして、おいで！」と彼を呼んだ。だがこのときもまた、目の前にはっきりと安全

　が見えていたにもかかわらず、彼は燃えさかる危険へともどったのだった。

　　キングは、呼吸器に問題のあるハワードが、起きてこないのを知っていた。火傷

　や首の裂傷が痛むのもかまわず、彼はハワードのところにもどり、パールを起こし

　たときとおなじ行動をとった。鼻や前足でつつき鼻声をたてて、起きるよううなが

　したのだ。…

　　　　　　　　　　　○

　　朝の光が射したとき、キングがどれほどのことに耐えたのか、誰の目にもはっき

　りとわかった。彼の口には鋭い木片がいくつも突き刺さり、背中の毛は焼け焦げて

　皮膚がむきだしになり、首の無残な傷口からは血がにじみ出していた。足の肉球は

　ひどい火ぶくれで、感覚が正常にもどるのに一年はかかりそうだった。彼はそのす

　べてに耐え、家族がぶじに救い出されるまで、自分のことは考えなかった。これは

　明らかに、犬が自分第一に考えてした行動ではない。自分の大切な人びとを助けよ

　うとしておこなった行動であることは、たしかだ。

　　　　　　　　　　　○

　僕は、よく知らないのだが、「進化論」では、このキングの行動は、どう理解されることに

なるのだろうか。キングは、明らかに、自分の生命の危険があるにもかかわらず、安全に逃げ

る道があるにもかかわらず、あえて、その道を取らず、「大切な人間」を救出するために行動

している。危険から「逃げた」方が、自然状態で、生存できる確率は高いはずだ。

　でも、キングはそういう行動を取っていない。人間と一緒に生活することは、犬の生存も有

利にした。そういう意味で言えば、人間は、「人間のために尽くす犬」の子供たちを、より大

切に育てた、とは言えるだろう。

　たぶん、犬以外で、こういう行動をとる動物はいないのではないだろうか。少なくとも、キ

ングは、人間を、自分の大切な「ご主人」だと考えて（感じて）いないと、こういう行動には

出ないはずだ。自分は、人間族のひとつ、（あるいは、人間は犬族の一種）だと考えているは

ずだ。そうでないと説明がつかないのではないだろうか。

　（この項、了）