話がそれすぎたようです。トラック諸島にもどりましょう。

　　よばい棒は若者の持物でした。若者はさまざまな意匠をこらした自分のよばい棒を

　つくります。むかしは、単純な形をした棒であったようですが、一九世紀に鉄の刃物

　が普及するようになると、複雑な形をしたよばい棒がつくられ、棒にはさまぎまな彫

　刻がほどこされます。ちょっと目にはおなじような形をしたよばい棒が二本あっても、

　棒にほどこされた彫刻の刻み目の数がちがうとかして、おなじよばい棒は二本とない

　のです。

　　若者は、どこへ行くときもこの棒をたずさえています。そして、自分の棒の形や、

　刻み目の数などを、昼間、娘たちに宣伝しておくのです。

　　さて、深夜、若者は好いた娘の家へしのんでゆきます。家族に気づかれずに、娘さ

　んを起こさなくてはなりません。そのとき、よばい棒が役にたつのです。

　　トラック諸島の伝統的な家屋は、ココヤシの菓で編んだゴザで屋根と壁をつくり、

　高床ではなく、地面の上にココヤシの葉製やタコノキの葉製のゴザを敷いた地上床の

　上に寝るのです。ゴザをぶらさげて壁としているので、壁にはすき間がたくさんあり

　ます。この壁のすき間を利用して、屋外からよばい棒をさしこんで、娘さんを起こす

　のです。

　　娘さんの寝ているとおぼしき場所に、よばい棒をさしこんで、棒の先端で体をつつ

　いて注意をうながすのです。もし、娘さんが熟睡していて、ちょっとやそっとでは起

　きそうな気配がなかったら、すこし手荒な方法をとります。よばい棒を娘さんの髪の

　毛のなかに突っこみ、ひとひねりしてから引っぱるのです。髪の毛をからめて引っぱ

　られたら、いかに寝坊の娘さんでも痛いので目をさますにきまっています。

　　起こされた娘さんは、暗闇のなかでよばい棒を手でさぐります。棒の形や、刻み目

　の数で、持ち主の若者がだれであるかを判定することができます。もし気に入らない

　相手だったら、棒をおしもどしてしまうのです。そうしたら、ふられたという合図で、

　若者はすごすごと帰らねばならないきまりになっています。もし、棒を手前に引いた

　らば、歓迎の合図です。しばらくすると家族の寝息をうかがって、娘さんは屋外に出

　てきます。そして、連れだって家の近くの海岸や茂みのなかへ行き、愛のかたらいの

　時間が流れます。

　　　　　　　　　○

　ミクロネシアのトラック諸島には、「よばい棒」というものがあるそうだ。

　珍しかったので、引用しておく。

　「よばい棒」が使われたのは、太平洋戦争以前。だから、その頃までは「よばい」の風習があ

ったのだろう。

　若者がひとつずつ自分オリジナルの「よばい棒」を作る。いわば、それで「個人」がわかるわ

けだ。昼間に、娘たちがそれを見ている。　

　夜になって、お目当ての娘のところに忍んで行って、「よばい棒」で、娘を起こす。娘は棒を

触ることで、誰であるとがわかり、イヤならば、棒を押し戻せば良い。

　日本では、「よばい棒」はないが、基本的に行われていることは、同じだ。

　もともとは、母系制の「招婿婚」の名残だと考えられる。

　「夜這い」の語源は、「ヨビアイ」であり、相手の名前を「呼び合う」ことから来ている。

　昔の人は、自分の名前を明かすことはしなかったと言う。

　名前（言葉）とは、それくらい重要なものだった。

　いい機会なので、樋口清之の文章を引用しておく。

　　　　　　　○　　

　　ところで、妙な俗説だけれども、いわゆる夜這いという習慣があったといわれる。

　夜這いというのは、娘の所へ男がかってに通っていく習慣であるが、夜這いの語源を

　考えてみると、夜這うのではなくて、名前を呼び合うこと、つまりヨビアイの変化し

　たものがヨバイである。結局、愛情を持って、男が女の名前を呼ぶと、女もまた男の

　名前を呼び返して、初めて相思相愛の男女であることを確認し合って、女の部屋に入

　れてもらうというのが、夜這いである。

　　九州などでは、むかし、それを両親が知っていても知らないことにして黙認すると

　いう習慣があった。つまり、結婚とは、どこまでも相互の選択であり、本人の愛情に

　よって結ばれるものだという大前提に立っているわけであるから、そこで、淫奔な遊

　びだったりしてはいけないので、両親は、無言のうちに承認すると同時に、監督もし

　ているわけである。

　　したがって男は、遊びとしての夜這いはできない。そこへ夜這う限りは、絶対に責

　任を取らなければならず、もし取らない者があったら、たいてい村を追い出される。

　　そういう懲罰があるくらいだから、夜這い行為をもって、淫奔な性の解放と思って

　は間違いである。逆に、きわめて厳粛な、性の尊厳と、尊重と、そして家庭生活への

　出発を家族が承認しているのであり、その承認される以前の性教育は、村の長老が娘

　宿・若者宿で行なったと考えていい。

　　　　　　　　○

　「夜這い」は決して、「遊び」や「淫奔な性」ということではなく、性の尊重が内包された概

念であったことは、トラック諸島でも、日本でも、共通しているように思われる。

（この項、了）