この神話には、実は見落とされやすい盲点がひそみます。説話の筋は、隠岐島にい

　た白兎が本土に渡りたくなり、一計を案じて「ワニザメ」どもを一列に並ばせ、仲間

　の数をかぞえるということにして、跳び渡ろうとしたというものです。最後の一匹の

　ところで油断して、笑いとばしてしまったので、皮をむかれて泣いているところに、

　「大国主」がさしかかり、救ってくれたというものです。

　　面白い筋立てではありますが、なぜ白兎とワニザメの組み合わせになったものか、

　これだけではピンときません。神話学の方などでは、山人と海人の争いを寓話化した

　もののように説いていますが、常識的すぎていただけないようです。

　　アイヌの漁民は危険な「三角波」を「イセポ・テﾙケ」（兎・踊り）と呼んで恐れた

　ということです。このため海の上では「イセポ」（兎）を禁句にし、兎の隠語として

　「カィ・クマ」（波の・横棒＝横波）を使ったということです。

　「ワニ」は古朝鮮語で「船」を呼びましたから、それを兎がだましたというのでは、

　まさに「三角波」が船を悩ませたことになります。仕返しを受けて当然の話で、寓話

　のモチーフもすっきりしたものになります。

　　となりますと、古代の出雲地方の人びとも、北海道のアイヌウタリの先祖たちも、

　同じような伝説を持っていたとみてよくなります。むしろこのことが重要で、縄文時

　代というような次元での古伝説ということも考えてよくなります。

　　　　　　　　　　○

　とても興味深かったので、引用しておく。

　「因幡の白兎」の中にも、実は、アイヌの伝説が内包されている、というのが面白いと思った。

　確かに、なぜ、ウサギなのか、なぜ、ワニなのか、不思議なところだ。

　大友幸男によれば、ウサギは、アイヌでは、波の象徴だ。

　古代人特有の「視覚（感覚）で考える」思考の世界では、海に波立っている白い波が、兎が大

海原を走っているように見えたのに違いない。

　試みに、アイヌの妖怪譚を引用してみる。

　　　　　　　　　　○

　兎と津浪　（略）…ある時，日高のトヌウオウシという人がここを通ったら，丘の上

　に兎が一匹立っていて，沖の方へ手をつき出して，しきりに何物かを招きよせるよう

　な身振をしていた．彼はそこでトンケシの部落に向って，

　　　オレプンぺ　　　　津浪が

　　　ヤン　ナ　　　　　来る　ぞ

　　　ホクレ　キラ　　　早く　逃げろ

　と叫んだ．六人の首領たちは，たまたま酒宴をしていたが，いっせいに立ちあがって，

　　　ホッ　　　　　　　へん

　　　オレプンペ　　　　津浪なぞ

　　　ヤン　チキ　　　　来て見ろ

　　　タブネ　アカル　　こうしてやる

　　　アンノ　アカル　　ああしてやる

　と言いながら，刀を抜いてふりまわしていた．

　　トヌウオウシは呆れて，そのままいっさんに虻田の部落の方へ走り去った．そのと

　き彼の背負っていた鞄が背中のうしろで一直線になったまま落ちなかったほど物凄い

　速力だった．彼が有珠の部落まで来たとき，はるかうしろで津浪のまくれ上る音がし

　た．この津浪で古いトンケシの部落は亡びてしまったという．

　　兎と波は実は無関係ではない．一般にアイヌは，海上に白波が立つのを「イセポ・

　テレケ」（兎が・とぶ）と言い，沖では兎の名を口にしない．うっかり兎の名を言え

　ば，波が出て来て海が荒れる，と信じているからだ．

　　幌別では，岸打つ波を見せて，赤ん坊をあやしながら，

　　　オタカ　タ　　　海辺　で

　　　イセポ　　　　　うさちゃん

　　　ポン　テレケ　　ぴょんと　とぶ

　　　ポン　テレケ　　ぴょんと　とぶ

　と歌う．富岸（トンケシ）の丘ではその兎の大将が仲間を呼んでいたのである．

　　　　　　　　　　○

　このアイヌの説話には、見事に、アイヌが信じた「ウサギと波」の関係が捉えられている。

　「津波」は、なぜ、起こるのか。

　兎の大将が、海のウサギを呼び寄せるから起こるのだ。

　古代人は、「津波」に対して、何らかの視覚的な理由をつけたかったのに違いない。

　海では、兎（イセポ）の名前は口にしない。言うと、海が荒れてしまうからだ。

　イエスは、言葉で海を鎮めたと言うが、アイヌは、聖人でなくても可能だ。イエスの言葉に力が

あるのではなく、「言葉」自体に＜力＞が宿っている、という段階の信仰だ。

　ウサギの霊力（信仰）が、さすがに後退していくことで、蟹の「シオマネキ」が、汐を呼んでい

るのだという思考が出てきたのかもしれない。

　ちなみに現代では、楳図かずおの『猫目小僧』に、妖怪「シオマネキ」が出てきて、「津波」を

呼びよせる力があることになっていた。

（この項、了）