◎マーク・トウエンの印象について◎

　　あのかたのいちばん強い印象は、悲しみの人であるということでしょう。非常に大きな

　悲しみを経て来た人ということはすぐわかります。お顔に手を触れた時、その表情はいつ

　も悲しそうでした。おかしい話をしておられる時でもそうでした。笑われる時には口でで

　はなくて、心で笑われました。そしてその表情は顔の表情というよりもむしろ魂の表情で

　した。お声はとてもきれいでした。それは深い、張りのある声であることは、手を触れて

　見てよくわかりました。

　　どんなに細かい感情の陰影をも表わせるように声の調節の十分にできるかたでした。そ

　して話す時には非常にゆっくりと話されるので、唇に手を当てていれば、どんなことでも

　一語も洩らさず聞きとることができました。じっと聞こうとしている私の指に伝わってく

　る、あの柔らかい、物静かな話しぶりは、今になって思い出してもたまらないほどです。

　あのかたのお声は私の指に触れるとたん、ふしぎに美しい形のものに変わるようでした。

　そしてその手は感情の動きによって、どんなにでも動き変わることのできる手でした。

　ヘレン・ケラーを読んでいると、研ぎ澄まされた感覚というものが、どういうものか、とてもよく

よく伝わってくる。

　「視覚」と「聴覚」を閉ざされたヘレン・ケラーの、研ぎ澄まされた触覚は、顔の表情だけでな

く、魂の表情まで察知できるほどであったことがわかる。触覚によって、顔の表情の奥にある感情の

陰影や、声のきれいさや、調子まで察知することができている。

　それは、「触覚」が、「視覚」や「聴覚」の代わりをしていた、とも言えるし、ある意味では、

「視覚」や「聴覚」を超えて、もっと深いところまで感じることができたとも言える。

　よく考えると、もともと、「触覚」という感覚自体が、人の＜魂＞に、直接触れられるような感覚

であるのかもしれない。僕たちは、「視覚」や「聴覚」優位で生きているために、そういう感覚を失

っているだけなのかもしれない。

　また、ヘレン・ケラーは他の箇所で、マーク・トウエンと握手した瞬間に、「この人とはずっと良

い友達でいられる」と直観した、と書いている。触覚で、＜未知＞とか＜未来＞まで、察知できてい

るように見える。これはもう、「視覚」や「聴覚」の域を超えている。人間の感覚というのは、そこ

まで研ぎ澄まされることができる。

　そう考えると、これはもう「超感覚」と言ってもいいかもしれない。ヘレン・ケラーの触感の感覚

は、＜未来＞まで察知することができた。

　　私はまた独木舟を操ることを愛しました。私が月明かりの夜、独木舟を浮かべるのが特

　別に好きだというならば、あなたがたは微笑されるでしょう。もちろん、私は松の木の後

　ろからのぼって、ひそかに天空を横切り、舟の行方に銀光の道を敷く月を見ることはでき

　ませんが、月が大空にかかっていることを知って、座席を枕に寝そべりながら手を水に浸

　すとき、私は通りすぎる月の女神の裳にゆらぐ光に触れるような気がするのです。ときど

　き大胆な小魚が、私の指の間をすべりぬけたり、たびたびスイレンが恥ずかしげに私の手

　をそっとおしたりします。またしばしば小さな湾や入江などのかげから外海に出るとき、

　私は突然自分のまわりにひろびろとした空気を意識し、一種の明るい暖かさが、私を包む

　ように思うのです。それが太陽に暖められた木からくるのか、それとも水からくるのか、

　どうしてもわかりません。

　ヘレン・ケラーは、月明かりの夜に、カヌーで海に出ることが好きだった。ヘレン・ケラーの「超

感覚」を考えれば、これくらいのことはできただろうと信じられる。

　ヘレン・ケラーには、ちゃんと周囲の情景が「見えて」いることがわかる。

　しかも、まるで「物語」のように、外界を感受しているように僕には思われる。

　他にこれができた人が、ひとりだけ思い浮かぶ。

　宮沢賢治だ。