宮崎駿『出発点』を読む。


20・ランドサットの写真

 
  宮崎 だれでも、雲があれば行ってみたいと思うでしょう。でも、雲間から光が

 さして、荘厳な風景なんて地上一万メートル以内のことだと思うんです。宇宙に出

 てしまうと荘厳なことないと思うんですよ。人間の持っている感覚などいろいろな

 ことを含めて、天候と密着しているんじゃないかということです。

  ぼくはランドサットの写真見ても感動しないんです。ただ記号だなと思う。すご

 く単純な世界になってるなと思うんです。

  だから、抽象的な宇宙よりも、女の子と星を見上げてキレイだといってるほうが

 好きです。作品の舞台は、その範囲にとどめてその高さの中は全部使おうって(笑)。

  −−以前、サン・テグジュペリの航空小説がお好きだといわれましたね。

  宮崎 イギリスのフイルムで、飛行機の発展をあつかったものを見たんですが、

 そのラストシーンで雲の上スレスレに飛び回る飛行機にあこがれましたね。乗って

 みたいなあと。でも、実際にそんなことをすると胃袋がひっくりかえったりするん

 ですけど(笑)。

  テレコムのアニメ一夕ーの友永(和秀)さんなんか、ジェット機に乗ってきたと

 きに「いやあ、雲がマルチで動いてました」と笑ってましたね。

  ジェット機は四重ガラスの窓でしょう、あれイライラしますね。肉感的に雲をさ

 われるといいのになあなんてことで(笑)。

  体験的にヘリコブターとか乗ったときもすごいなあとは思ったんですが、それは

 また別ですね。

          ○

 とても、宮崎駿らしいな、と思って、感心した。宮崎駿のアニメの飛行シーンが素晴らしい

のは、世界中の人が認めるところだろう。

 「ぼくはランドサットの写真見ても感動しないんです。ただ記号だなと思う。すごく単

純な世界になってるなと思うんです。」

 確かに、宮崎駿の作品は、地上一万メートル以内の空間によって描かれていると言って間違

いない。

 空を飛ぶのは「紅の豚」の飛行機や、「ナウシカ」のメーヴェであり、雲より上空に視線が

行くことはない。

 「魔女の宅急便」のキキも、ホウキで空を飛べる以上の高さのまなざしは、存在していな

い。

 『となりのトトロ』も、そこは厳密に守られていて、映像は、トトロの飛行できる高さ(村

落共同体の空間の広さ、高さ)のまなざし以上の高さからは描かれていない。その高さの<中

>での世界における、人間と妖怪(森の精霊)との交流に焦点がピッタリと合っている。

 これらの点は、宮崎駿の作品では厳密に貫かれていて、見事だと思う。

 ランドサットの写真について、吉本隆明は、こういう分析をしている。

          ○

  人工衛星ランドサットからの写真映像は、航空写真とつぎのいくつかの点でまっ

 たく決定的にちがっている。

  第一に、ランドサット写真の映像では、ビルや住宅のような、どうしても人間の

 生活空間をかんがえるために必要になってくる建物の外部と内部という区別が消滅

 してしまう。そういうよりも内部という概念が一切崩壊してしまうのだ。それとい

 っしょにビルや住宅の輪廓もまた消失する。ランドサット写真の映像では、あの地

 表と、そこから一〇〇メートルくらいのあいだに、身長五〇センチメートルから二

 メートルくらいの人間が動きまわって生活しているということは、まったく無化さ

 れている。そこはたんに低い目立たないほどの箱状の起伏のある平地にすぎないの

 だ。

  第二に、当然それと関連するわけだが、ビルや住宅の建物と田畠や丘陵の区別が

 消滅してしまう。べつの言葉でいえば、人工物と自然との差異がなくなっている。

 ビルや住宅の建物もまた、ランドサット映像では自然なのだ。もっと極端な云い方

 をしておいた方がいいような気がする。ランドサット映像からみられたビルや住宅

 の建物、その群塊である都市は、都市という地質層の新種であり、そのなかのコン

 クリートのビルディングと木造の住宅とは、おなじ地質土壌の成分のなかの亜種の

 差異にほかならないといえよう。

(『ハイ・イメージ論』「地図論」 吉本隆明)

          ○

 僕は、これも見事な分析だと思う。

 吉本隆明の分析からすれば、ランドサットの写真は、「単なる記号」でもないし、「単純な

世界」という以上の意味を持っている。

 それは、人類が獲得した「新しい地層」(人工的自然としての自然)であり、地球への新し

い「まなざし」の水準が可能になったことを意味している、と。

 宮崎駿の作品には、こういうまなざしは、無いと言えるだろう。

 もちろん、ここでは宮崎駿を批判しているわけではなくて、宮崎駿の特徴として書き留めて

おきたいだけであり、宮崎駿の作品が優れていることに違いはない。「魔女の宅急便」で、初

めて人間界に行くキキが、ホウキに乗って、町を見下ろすシーンの「町」は、きれいで、それ

ぞれのひとつひとつの中で、人間が生きている、という感じがした。

 ところで、これは単なる僕の夢想なのだが、

 宮沢賢治なら、どうだろう?

 宮沢賢治なら、たぶん、宮崎駿の作品の素晴らしさもよく理解しながら、同時に、ランドサ

ットの写真を見ながら、新たな時代の人間の物語を作るのではないだろうか。

 (この項、了)

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